Vol.116 反対意見は手段として活用する

 

おはようございます。
「自らをマネジメントすることは常に可能である」
自作した「マネジメントの問い」を当事者である自分自身に投げかけて、
事業、仕事、自分自身のマネジメントに日々取り組んでいます。


本日のテーマは

#116 手段として意見の対立を使うことができているか?

です。
さっそく自分の場合を答えて行きたいと思います。
みなさんも、考えてみてくださいね。


 自分とは違う意見を言われると、イラっとするしムカッとしてしまう。そんな自分を長いこと経験していましたが、数年前から、その傾向が減っています。それは、ようやく、「反対の事を言っている人は、自分が見ていない物を見ているのかもしれない」「自分が検討できていないものを考えているのかもしれない」と思えるようになったからです。自分だけの意見で決めてしまい、失敗が長く続いたからかもしれせん。

 その人自身の価値観なども影響していると思いますので、すべてを鵜呑みにすることはありませんが、反対意見に対する捉え方が以前とは変わりました。

 最近は、わざわざ反対意見を聞きに行く、反対の意見を聴くことができる機会を、自分から作っています。自分とは立場や経験は異なるけれども、価値観や目指すものの近い人の意見を聞くようにしています。そうすると、明らかに、自分には無い意見を聞くことができて、「なるほど」と思えます。自分から敢えて、選択して、反対意見を聞いているので、イラつくことも無いです。

 もっと、深く広く、時間軸も加えて、意見の対立を手段として活用できるようになりたいと思います。年齢が下の方と話す機会が多くないので、そういう機会をつくりたいです。

今日は 

#116 手段として意見の対立を使えているか?

という質問から、自分も考えてみました。
今日も、よい一日になりますように。

いかに感情が高ぶろうと、またいかに相手側が筋が通っていないと確信しようと、正しい意思決定を行うとするならば、選択肢を十分に検討するための手段として反対意見を見るべく努力しなければならない。あらゆる側面を丁寧にみるための手段として意見の対立を使わなければならない。

P.F.ドラッカー 「経営者の条件」